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はじめはDTPオペレータ。

デザイナーログ

若気の至りというか勢いに任せてデザイン業界に
飛び込んだものの、右も左もわからずやってました。

経済事情も悪く、アートプラスを1年終えることなく、
早急に仕事に就くことになりました。
学校に来ていた友人に誘われちょうど人手が欲しい
ということで渡りに船。一つ返事で受けました。

初めてデザインの仕事に就いたわけですが、
学ぶこと自体はとても楽しいですが、仕事となると話は別。
ゼロから生み出すつらさに気づかされる日々でした。

しかも、はじめから何か作れるわけもなく、
まずはひたすら文字打ちかテキストの流し込み。
あとは写真のスキャンと名前付けなんかをやっていました。

ちょっと制作っぽい仕事は、
すでにラフ原稿といわれる設計図どおりに作る
エッチな雑誌の仕事がありました。

悲しいかな一番クリエイティブな仕事が
エッチな原稿作りでした。
文字の背景を選んだり、文字詰めの調整など。

1、2ヶ月は仕事をしながら学校へ通っていましたが
徐々に仕事の比重が増えて、なんとか慣れてきたので
学校へ行く回数も少なくなりました。

この頃はとにかくデザインに繋がる仕事ができるだけで
嬉しかったように思います。
基本、この手の職業は職場に入ること自体難しいというのは
情報として知っていたので。

慣れるに従い、仕事の流れが見えてきました。
はじめはラフの原稿が用意され、コレにあわせて、
ライターさんが原稿を書く。

これをもとに組版のクォークエクスプレスというソフトで
原稿を起こし、そこへテキストを流し込む。
文字詰めといわれるカーニングなどを調整してぴったりおさめる。

流し込みガ終わったら、校正担当へチェックに出す。
もちろん自らもチェックした後。
はじめは自分でチェックしても校正担当から大量の赤(修正)が
入る。修正を赤というのは、おそらく赤文字で修正を
入れるからだと思う。

この頃の職種はDTP(Desk Top Publishing)オペレータといい、
デザイナーではなかったと思う。
しかし、まだオペレータ事態の仕事もおぼつかなかった。
熟練のオペレータにもなると、きっちりと原稿どおりに仕上げ、
ミスもほとんど出さないというスピードと正確さがポイントだ。

100ページ以上もあるカタログやら、集めの雑誌など
かたちはほぼ決まっていて、指示通りにいかに早くこなせるかが勝負
という、ちょっと非人間的な機械的仕事が多い。

しかしこの業界の人はMが多いのかそれとも文系でありながら
典型的な体育会系が多いのか、
うぇー!ぐえーとか言いながらも黙々と仕事をこなす。

徐々に仕事も卑猥なものから、爽やかなスポーツや
健全な広告にシフトして行って、広告であると、
多少のデザイン性が求められるようになった。

地元のフリーペーパーの広告がとれるようになると、
ページ単位の特集や、広告、小枠の広告などもこなすようになると
このままではいけないなと感じるようになる。

というのは、デザイナーが指示したものを
正確に起こすのがオペレータであり、
オペレータであり続ける限り、クリエイティブな仕事はできない。

指示した原稿をオペレータが勝手に創作したら、
デザイナーはたまったものではない。
原稿は、クライアントと打ち合わせた上で
起こしているので、デザイナーの指示は先方の声。
とても重要な意味がある。

なので、オペレータの仕事をある程度覚えたら
今度はデザイナーへと上がらないと、
いつまでたっても大量な流し込みなどを請け負うハメとなる。

DTPオペレータという職種も突き詰めれば深いものだが、
悲しいかな世間の扱いが低いのもいなめない。

そんななか、通っていたC社が引越しをするという。
そこで私に回線の担当になって欲しいという。
頼まれればなんでもやるというのが信条だったので、
私でよければと引き受けた。

やることはNTTの方と引越し先で必要になる回線の本数、位置きめ、
それに合わせて営業と机の配置も行った。

このころから社長に気に入られ始めたのがわかっていた。
たんたんと作業をこなして無事引越しも済んだ。
ところがどうもこのあたりから私は企画営業の仕事に
引っ張られるようになっていき、二足のわらじのようになっていた。

仕事も映画館の割引チケット制作という大きな仕事も入り、
忙しくなっていったが、社内は徐々に亀裂がはいっていった。

そんな状況で、事件がおきる。
映画の割引きチケットが間に合わなかったのだ。
制作会社の責任ではなく、クライアントのわがままの結果なのだが
得てして制作から発送まで行っているので、製作会社が攻められる。

その後社長は、社員への不信感が募ったらしく、
監視するようになる。そこへアルバイトから社員への登用の話もあり、
なんと社員になると残業がなくなるらしい。あほすぎる。
深夜まで働きづめなのに…。加えて私は営業に引っ張られるとかなんとか。

ある日突然、呼び出しを受け、
仕事のミスをなぜか私が他の社員としゃべっているのが
原因ではないかと言い出し、すでに末期と判断していたがゆえに
その場で辞めますと伝えた。
その後、締め日まで3、4日あった気がしたが、キッチリ勤めてやった。

この数日はかなりきつかった。
私はやめると決めたが会社はそうではなかったらしい。
後日聞いたら、まわりのスタッフは
「T君(私)は辞めるといったが考え直すかもしれないから
何も話さないように。」
といわれていたようです。

???いや俺やめるっていったけど…。
ドンだけ優良企業ぶってるんだ。とあきれた。
そんなこんなで、最悪の状態ではありましたが、
オペレータという職種から決別し、
デザイナー人生への第一歩が幕を開けました。

次に向けて考えるもまずは仕事…と思い職探し。
そう考えながら、実家を手伝っていました…。
ちなみにこのころ実家は父が脱サラで修繕屋をやっていました。


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