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三日三月三年…。デザイナーとは耐えるもの。

デザイナーログ

以前もいいましたが、新聞社の営業さんと
一緒に仕事をすることが多かったJ社。
納期の調整や、制作の質に対する意見にフィルターがないのは
キツかったですが、そのぶん勉強となりました。
そして、仕事の感触が生々しかった。
いいものはいいし、ダメなものはダメ。

営業さんの声のトーン、表情、しぐさからすべてわかりました。
しかも他のデザイナーとのやり取りも見えますから
如実に贔屓、依怙贔屓がでます。

そのうち、迷惑をかけないようにと心がけたところから、
デザインの提案を求められるようになりました。
ようするに1年、2年とたったらそれなりのものを出さないとね…。

また新たな課題が見え始めました。

2年たったこのころから、お手本を探すようになりました。
強迫観念のようなプレッシャーから、MDNやADブックスなど
デザインの教本を買ったり、読んだりしました。

これがまた高い!
まあ今にして思えば内容からするとだいぶ安いんですけどね。
当時は、内容をしっかり吟味して買っていたのを覚えています。

とにかくデザインの事を考えるように生きていた気がしますね。
休みの日でも、家でぼーっとしているときでも、目に入るものを
レイアウト化して分析していたように思います。

イイと思った本の表紙や美術館のチラシなど集めたり、考えたり。
テレビにでてくる文字なども、ふちがついてるとか見づらい見やすい、
かわいい、カッコイイ、固め柔らかめ、やさしめきつめなどなど…。

そうやって続けていき、徐々に仕事の反応も良くなってきたと思います。
変わったのは3年目…ですかね。
制作クオリティのボーダーラインが感覚的にわかってきたように思います。

いい意味で、「これくらいで大丈夫。」
と思いながら作れるようになりました。お客さんとの打ち合わせも
自分の中で基準があるので、はっきりと話せるようになり、
納期や金額もざっくりわかってきたので、余裕がでてきたと思います。

ただしまだまだ企画するのはムズカシかったと思います。
なにより企画書が書けなかった…。
制作だけならなんとかなるかな…と思い始めてました。

ただデザイナー?と聞かれるとギモンでした。
自分から発信することはまだまだでしたし、スキルも未熟だったと思います。
少しは楽になった3年目。じりじりと日々の仕事に耐えながら進んでいたかな…。

それでは本日はこの辺で…。


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